グリーゼ581g

血識を求めて遥彼方へ

#1-2 学習指導要領を吟味する 理系編

数学

 数学的な見方・考え方を働かせ,数学的活動を通して,数学的に考える資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 数と式,図形と計量,二次関数及びデータの分析についての基本的な概念や原理・法則を体系的に理解するとともに,事象を数学化したり,数学的に解釈したり,数学的に表現・処理したりする技能を身に付けるようにする。
(2) 命題の条件や結論に着目し,数や式を多面的にみたり目的に応じて適切に変形したりする力,図形の構成要素間の関係に着目し,図形の性質や計量について論理的に考察し表現する力,関数関係に着目し,事象を的確に表現してその特徴を表,式,グラフを相互に関連付けて考察する力,社会の事象などから設定した問題について,データの散らばりや変量間の関係などに着目し,適切な手法を選択して分析を行い,問題を解決したり,解決の過程や結果を批判的に考察し判断したりする力を養う。
(3) 数学のよさを認識し数学を活用しようとする態度,粘り強く考え数学的論拠に基づいて判断しようとする態度,問題解決の過程を振り返って考察を深めたり,評価・改善したりしようとする態度や創造性の基礎を養う。

「数学的に考える」「数学化」などの言葉が(1)では目立つ。これは、知識を捻り出す(=問題の答えを出す)ことができる「メタ知識」ほかならないだろう。また、この考えが「ベース知識」となって、理科という科目が成り立っていると言っていいだろう。

(2)ではさらに詳しく書かれており、数学的思考は他の様々な場面に適用できることが念押しされている。

 

特に、統計の分野での活用を全面にアピールしていることは明らかだろう。地理歴史の資料読み取り力、数Bのベクトル除外からも見て取れる。

 

(3)は意外だが、数学に対する態度が記されている。

これはどの教科にもあてはまることではあるが、数学という領域がほかの領域に比べて圧倒的に単純であるからこそ、このような問題解決に直結する能力を養うことができる、という判断の上での目的だろう。(無論、このような態度は数学の本質ではない)

 

 

理科

 自然の事物・現象に関わり,理科の見方・考え方を働かせ,見通しをもって観察,実験を行うことなどを通して,自然の事物・現象を科学的に探究するために必要な資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 自然の事物・現象についての理解を深め,科学的に探究するために必要な観察,実験などに関する技能を身に付けるようにする。
(2)観察,実験などを行い,科学的に探究する力を養う。
(3)自然の事物・現象に主体的に関わり,科学的に探究しようとする態度を養う。

 

理科は4分野に分かれることが大きな特徴ですが、全ての教科において、

(1)観察、実験の技能

(2)(1)を科学的に分析する技能

(3)科学的に考える意欲

の重要性がつらつらと書き連ねられていた。

 

(1)、(2)は「メタ知識」であろう。全ての科学的事実は実験により実証されているのだから。

(3)は科学的に考えよう!という数学の態度のやつと似ているものである。

 

ところで、数学と理科を検討してみて、この態度も「メタ知識」に分類されるのではないか、と思うようになった。

 

この態度、というのは、数学、理科という分野に関わらず、数式や図形による数学的アプローチ、実験観察による科学的アプローチがいろんな場面で使われているよーということを知り、自分でもそのアプローチで課題解決をしよう!という、いわゆる「思想」の植え付けであるからである。

 

困ったら神頼みをしよう!という時代のが世間の当たり前だった時期が、確かに存在していたのだ。

鎌倉時代元寇の際にひたすら人々が祈り続けたように。

 

しかし、現代の人間はそれを馬鹿にする。(いまでも抜けていない部分はあるが)

「神様はいないよ、だって科学的に証明できないから。宇宙はビッグバンで生まれたんだ!」と。

(そんな人には世界五分前仮説をお勧めしたい)

 

これは倫理の「思想改造」と何ら変わらないものだろう。ただ、この思考がもたらすメリットが、デメリットと比べて1不可説不可説転倍くらいあって、今や誰もが持っているからこそ、疑問にも思えないのだろう。

 

英語(及びその他外国語)

 外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ,外国語による聞くこと,読むこと,話すこと,書くことの言語活動及びこれらを結び付けた統合的な言語活動を通して,情報や考えなどを的確に理解したり適切に表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図る資質・能力を次のとおり育成する
ことを目指す。
(1) 外国語の音声や語彙,表現,文法,言語の働きなどの理解を深めるとともに,これらの知識を,聞くこと,読むこと,話すこと,書くことによる実際のコミュニケーションにおいて,目的や場面,状況などに応じて適切に活用できる技能を身に付けるようにする。
(2) コミュニケーションを行う目的や場面,状況などに応じて,日常的な話題や社会的な話題について,外国語で情報や考えなどの概要や要点,詳細,話し手や書き手の意図などを的確に理解したり,これらを活用して適切に表現したり伝え合ったりすることができる力を養う。
(3) 外国語の背景にある文化に対する理解を深め,聞き手,読み手,話し手,書き手に配慮しながら,主体的,自律的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとする態度を養う。

知識を得るためのリソースとして言語を増やす=世界を広げるための「メタ知識」を育てる。以上。

 

5教科を見てみて

現代国語・英語は、文章を読解する力=情報収集の「メタ知識」獲得のための教科。よってこの教科が全ての教科のベースになる。

 

数学は、数という領域での学習によって数学的アプローチという「思考のメタ知識」を得ることができる教科で、数学で得られる様々な知識は、これまた様々な分野の「ベース知識」になりうる。統計や、論理においては「分析のメタ知識」が得られる。

 

理科は、世界を実験・観察という科学的アプローチによって分析するという「思考のメタ知識」を得ることができる教科。分析の際には思考のメタ知識に加えて数学のベース知識が必要。理科で得られる知識は直接的に産業などで用いられることが多い。

 

地理歴史は、人間に対して数学的、科学的アプローチを行うことで人間の社会的活動を明らかにする教科。実用的な知識が多いほか、国語・数学・理科で養われた分析力がどのように生かされているかを体感できる教科でもある。

 

公民も地理歴史と同様な側面が多いが、文主体の分野のため、国語のメタ知識がより試される。

また、倫理は「思想改造」ができるため一線を画する。

 

古文は、古代日本人の思想などに触れることができる教科で、国語の分析力が必要となる。

 

このようにしてみると、かなりバランスのいい教科編成である。

 

 

これを副教科も入れてマップにしてみた結果、こうなった。



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これが学問の全容ではないが、間接的にしか得られない知識も多く存在することは非常に勉強になった。

マップが完全なものとは思わないが、まずはこれを基準として、知識の整理、統一を行っていきたい。

 

感想

数学と理科が半分洗脳のようなことをしているのには驚かされた。

分類で言うと、国語と英語がやはり異端児で、知識というよりはメタ知識に振り切っていて、思えば大体の知識は理数社に分解できるな、と感心した。

 

 

#1-1 学習指導要領を吟味する 文系編

高校は、今ではほとんどの日本人が行くところとなっている。その内容は日本の学問の一つのトップ機関ともいえる文部科学省が定めた学習指導要領に則ったものである。ここはアタマのいい彼らが何を求めて、何のために教科を厳選したかを考えていく。

 

国語

 言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 生涯にわたる社会生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
(2) 生涯にわたる社会生活における他者との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を伸ばす。
(3) 言葉のもつ価値への認識を深めるとともに,言語感覚を磨き,我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち,生涯にわたり国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

国語は基本的には日本語の理解・表現の力を鍛えることを目的として行われる。これは国語単体で一つのカテゴリに分類するというよりは他の教科で、難しい概念の理解や論文の執筆など、知識を得る、蓄積するための知識、言うなれば「メタ知識」に分類されるだろう。

twitterで文字を読めない人はよく見かけるし、この能力は欠かせないものだろう。

これを学問というかは微妙である。体系的に身に付くものでもないし。

古文

 言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の伝統的な言語文化に対する理解を深めることができるようにする。

(2)論理的に考える力や深く共感したり豊かに想像したりする力を伸ばし,古典などを通した先人のものの見方,感じ方,考え方との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。

(3)言葉がもつ価値への認識を深めるとともに,生涯にわたって古典に親しみ自己を向上させ,我が国の言語文化の担い手としての自覚を深め,言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う。

必要論、不要論が最も多く議論されるであろう教科が古文だ。学習指導要領では、要は「伝統的な文化への理解、古典を通した先人の物の見方」を得るため、と書かれている。

これは尤もだ。特に百人一首を筆頭とした短歌は「日本の文字ひとつに一つの母音が割り振られている」性質があってこそ成り立ち、貴族間のコミュニケーションツールともなっている、素晴らしい文化だ。

 

ただ、このような国特有の文化を公教育の名の下で行うことには、やはり疑問符が残る。重要度が低いことは外国で古文をやっていないことからもわかるだろう。

 

(逆に言えば、公教育であるからこそ文化に親しむことを啓蒙しているとも言えるが)

 

地理歴史

 社会的な見方・考え方を働かせ,課題を追究したり解決したりする活動を通して,広い視野に立ち,グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 現代世界の地域的特色と日本及び世界の歴史の展開に関して理解するとともに,調査や諸資料から様々な情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする。
(2) 地理や歴史に関わる事象の意味や意義,特色や相互の関連を,概念などを活用して多面的・多角的に考察したり,社会に見られる課題の解決に向けて構想したりする力や,考察,構想したことを効果的に説明したり,それらを基に議論したりする力を養う。
(3) 地理や歴史に関わる諸事象について,よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に解決しようとする態度を養うとともに,多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される日本国民としての自覚,我が国の国土や歴史に対する愛情,他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深める。

地理歴史においても、「文化に親しむ」という項目がみられる。

今後の「日本の」社会の担い手としての能力を養うために教育を施しているというのは間違いないだろう。そのようなバイアスがかかっていることを念頭に置いて学習指導要領を吟味する必要があるだろう。

我が国及び世界の形成の歴史的過程と生活・文化の地域的特色についての理解と認識を深め,国
際社会に主体的に生き平和で民主的な国家・社会を形成する日本国民として必要な自覚と資質を養
う。

また、旧指導要領と比べてみると「単純な知識が詰め込まれているか」というものよりも、「データの分析」を行い新しい事実を発見することが目的であることが、最新の学習指導要領では強調されている。数学BでベクトルがCに飛ばされ、実質統計的推測が必須になったことからも、このような「図形の読み取り」という「メタ知識」の重要性が伺える。

 

加えて、古文の目的で記されていた「先人の考え方」的なものは、地理歴史でも色濃く見える、というか古文と比にならないくらい見える。(この考え方の中でも特に重要なものを抽出したものが公民と言える。)

 

得られる知識によって、現代の問題の根幹がわかるし、宗教と科学の発展の関係、なども絡んでくるので多角的な視点を得るためには不可欠な学問であろう。

(それでいうと日本史の重要性はやや薄れることになる)

 

歴史がどのように蓄積されてきたか、データの分析などの「メタ知識」を得ることもできる。だがこれは生徒及び教師のやる気に左右されるし、地理歴史でないと養われない能力という訳でもない。

公民

 社会的な見方・考え方を働かせ,現代の諸課題を追究したり解決したりする活動を通して,広い視野に立ち,グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 選択・判断の手掛かりとなる概念や理論及び倫理,政治,経済などに関わる現代の諸課題について理解するとともに,諸資料から様々な情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする。
(2) 現代の諸課題について,事実を基に概念などを活用して多面的・多角的に考察したり,解決に向けて公正に判断したりする力や,合意形成や社会参画を視野に入れながら構想したことを議論する力を養う。
(3) よりよい社会の実現を視野に,現代の諸課題を主体的に解決しようとする態度を養うとともに,多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵
養される,人間としての在り方生き方についての自覚や,国民主権を担う公民として,自国を愛し,その平和と繁栄を図ることや,各国が相互に主権を尊重し,各国民が協力し合うことの大切さについての自覚などを深める。

公教育が愛国教育なのはもう疑いようのない事実として受け止め、他の内容を見ていく。

 

「資料から考える」は正直どの教科でもありそうだ。公民及び地理歴史とは異なる技能と考えて良いだろう。

 

公共・政経・倫理があるが色味は全く違うといっていいだろう。

公共は社会の基本原理(法律面)、政経は社会の基本原理(人間の活動面)、倫理は人間の思想について。

 

恐らく倫理がぶっちぎりで汎用性が高い。なぜなら「best of メタ知識」であるから。

倫理(ニア=哲学)ほど他人の思想をなぞることのできる教科はないし、考えている人は歴史に名を残した天才だらけだ。

 

公共、政経はどちらかというと実務的な側面が強く、発展性もそんなにないため、個人的には学問というのは微妙である。

 

文系総括

・現代文は読解・解釈のメタ知識が得られる

・古文は文化、趣味的側面が強い

・地理歴史はデータ分析対象として優秀、知識の結びつけも多様

・公民は倫理一強、思考を鍛えられる

 

前編終えての感想

・学習指導要領を見て検討していったがこれほど愛国が明らかになっているのかと驚いた。

・社会の潮流が現代の教育に強く反映されるというのを学習指導要領の改訂で強く見せつけられた。知識を分解して純粋なものをとっていきたい。

#0旗揚げ

元来、人間は知り得ない存在だった。

しかし、一度知ってしまった以上、もう知らないわけにはいかないのである。

 

 

歴史が引いてきたレールをなぞるようにして身体に染みついた知識、いわば「血識」で、今の世界と、現実と戦う。それは楽しくて、綺麗で、輝かしい旅でもある。

 

そんな道を進まんとする、一人の人間の足跡を、ここに記そうと思う。

 

 

 

 

「グリーゼ581g」は、本当に役に立つ、本当に身になる知識である「血識」を探求するブログです。

 

学校で習うような平易な知識の裏には、想像もできないような、数多くの人間の歴史が、存在します。そんな歴史を探求し、「そもそも何なのか?」を考え、皆様の生活、ひいては人生にささやかな彩を与えられれば、と思っています。

 

高校までで習得する知識を中心として、知識を網目状になるように拡張していくスタイルで記事を執筆していくつもりです。

 

具体的プロセス

 

学校で習う教科だったり、学問というのは、体系化された知識の集合体を、便宜上人為的に分類しているに過ぎない。

 

知識とはほんとはそういう風に仕切られたものではない。

 

分類は人間の素晴らしい智恵で、先人たちの知識が現代にいたるまでキレイに整理整頓されて、発展を促す一方で、分類する人々の思惑が少なからず入り込むことも事実だ。特に学校での知識のカテゴリである「教科」は、(いいかは悪いかは置いておいて)愛国教育、反対立国教育など不純なものが盛りだくさんだ。

 

だから、「教科」の前提がある状態で、知識と向き合うことは、知識の裏にある不純な思惑すらも身に付きかねない。特に社会は分類した人の思想が色濃く反映され、重要な情報が削ぎ落とされていることもあるのめ注意が必要だ。

 

また、知識を習得する際には学ぶ順番、学ぶ優先度が少なからずあるだろう。

グレードのカテゴリには大きく分けて2つあると考えられる。

 

A)言語がなければかなりの抽象的事象は理解できない。

B)微分積分がなければ物体の動きは分析できない。

 

A)は知識を得るために必要で、考え方に直結する、云わば「メタ知識」だ。

情報を得るための語学、因果関係がつかめる論理的思考力、「思考」自体を思考する哲学などがこれにあたる。

 

B)はこの知識をもとにして新しい知識が得られる、云わば「ベース知識」だ。

数学・理科で言えば公理がすべてのベース知識になりうる。

 

このような知識のカテゴリに注目することで、知識の繋がりを明確にし、知識をより盤石なものにすることができる。

 

このような観点に留意して、知識を血識に変貌させていこうと思う。